現代心理学の誕生①【精神物理学から現代心理学へ】

『心理学』が現在のように『学問』として、大学の講義で学べるようになったのも、人間のココロを【科学的に実証】されるようになったからです。

人間のココロの学問は当初『哲学』の分野が中心でした。哲学から独立し、人間のココロの研究を『学問』として確立させるには【科学的根拠】が必要です。

科学的根拠とは、数々の実験を行い、データサンプルを取り、それらを元に『客観的』に説明できないといけません。「なぜ、人間はこのような気持ちになるのか?」「なぜ人間はそのような行動をとるのか?」と、人間のココロを科学的に証明することで、はじめて学問として認めらえるのです。

 

心理学を学問として前進させた 『物理学者』の存在

ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)は、当時「人間のココロは、眼に見えないため、実験や観察で数字化し、証明できるモノなのか?、そもそも自分のココロは自分でわかるのか?、人間のココロは自然科学としては成立しない」と否定的でした。

カントが書いた『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の3批判書は、「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ3批判書に対応しており、カントの「人間のココロの学問は自然科学で成り立たない」という否定的根拠には当時、かなりの説得力がありました。

そして、その問題に果敢に挑んだのが、ドイツの物理学者グスタス・フェヒナー(1801~1887)です。

Immanuel_Kantイマヌエル・カント
(Immanuel Kant, 1724年4月22日 – 1804年2月12日)は、ドイツの哲学者、思想家。プロイセン王国出身の大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。後の西洋哲学全体に強い影響を及ぼし、その影響は西田幾多郎など日本の哲学者にも強く見られる(引用及び出典:Wikipadiaより)

 

フェヒナーの『精神物理学』がキッカケとなる

19世紀半ばになると、自然科学が発展したため、この問題に新たなアプローチ方法が登場します。それがグスタス・フェヒナーの『精神物理学』です。フェヒナーは、同じ大学の生理学者だったエルンスト・ウェーバー(1795~1878)の『運動感覚』をヒントに『精神物理学』のアイデアを思いつきます。

ウェーバーは「人が重さの違いを判断するとき、どのくらいの差で気付くのか?」の実験をしました。

たとえば、手のひらに【重さ50グラム】の錘(おもり)を乗せます。その重さ50グラムの上に、【1グラム】の錘を乗せたとき、「重さを感じた!」とします。

つぎに、手のひらに【重さ500グラム】の錘に乗せかえます。1グラムずつ増やして乗せていった場合、何グラムで気づくか?というと、10グラム増やした時点で「重さを感じた!」という結果となります。

50グラムの錘の場合、1グラムで重さを感じ、500グラムの錘の場合、10グラムで重さを感じる。ウェーバーは「人が気付くことができる最少の刺激差(重さ)は、元の刺激の強さに比例する」と発見。これをウェーバーの法則と言います。

ウェーバーの法則

 

フェヒナーはウェーバーの法則を積分することで、「人間の感覚量(心理量)は刺激の強度ではなく、その対数に比例する」としました。

簡単に言うと、人間は重さが、重くなれば、なるほど、「重さの変化」に鈍くなるという。100グラムの錘は1グラムを乗せたとき気づくのに対し、1000グラム(1キロ)では10グラムでも気づかなず、感覚が鈍感になります。

フェヒナーの法則

このように「物理的な刺激」と「心理的な感覚」の関係を数値化することで表したのが『精神物理学』の考え方で、後の心理学を科学的に実証することに繋がっていくのです。

グスタフ・フェヒナーグスタフ・テオドール・フェヒナー
(Gustav Theodor Fechner、1801年4月19日 – 1887年11月28日)は、ドイツの物理学者、哲学者。エルンスト・ヴェーバーの研究を発展させ、刺激に関する感覚の定式をヴェーバー‐フェヒナーの法則として定式化した。精神物理学という学問を創始し、実験心理学の成立に大きな影響を与えた。風変わりな人物であり、太陽を見た後の残像を研究するために太陽を肉眼で観察して失明状態になりかけたこともあった。フェヒナーの哲学思想は、精神と物質はひとつであり宇宙は一つの面から見れば意識、一つの面から見れば物質であるというものである。彼は宇宙を意識的存在と見ることを「昼の見方」、無生物として見ることを「夜の見方」と呼び、夜の見方の眠りに落ちた人々を昼の見方に目覚めさせることを目指した。彼の哲学の反響は小さかったが、その哲学に基づいて構想された、身体と精神(物的エネルギーと心的強度)の関係を研究する精神物理学は大きな反響を呼んだ(引用及び出典:Wikipadiaより)

 

実験心理学の創始者『ヴント』

ドイツの生理学者だったヴィルヘルム・ヴント(1832~1920)が、1879年、世界で初めてライプツィヒ大学の大学構内に『心理学実験室』を開設したとされています。大学が『心理学』を教育制度として初めて認めた年となります。

ヴントは生理学者でありながら『心理学に興味を持ち、【心理学としての生理学】として、生理学的手法を用いながら「人間の心」や「意識の中」を解明するための研究を進めていきました。

ヴントは医学や生理学ではなく「実験的な心理学」をやりたかったのです。そして彼は『実験心理学』を研究していき、『心理学』を哲学から【自然科学】として、確立させていくのでした。その功績によりヴントは「心理学の父」と呼ばれるようになったのです。

ヴィルヘルム・ヴントヴィルヘルム・ヴント
(Wilhelm Max Wundt, 1832年8月16日 – 1920年8月31日)は、ドイツの生理学者、哲学者、心理学者。 実験心理学の父と称される。それまでの哲学的な心理学とは異なる実証的な心理学を構想し、実験心理学最初の書である「感覚知覚説貢献」(1858-1862)を著し、ライプツィヒ大学の哲学教授を務めていた1879年には、世界でももっとも初期の実験心理学の研究室を運用したと言われており、心理学史の多くではこの時をもって、” 新しい学問分野として心理学が成立 ” したとされている。 その実験室にはヨーロッパ、アメリカ、日本から多くの研究者が集まることになった。1881年には『哲学研究』という名の冊子を発刊し、これは後に『心理学研究』と改称され継続。ヴントの心理学研究室での成果を中心とした諸論文を掲載し、心理学の発展に寄与した。ヴントは実験室のあるライプツィヒ以外の地に移住することはなく、その地にて88歳で死去した。生涯に書いた著作のページ数の総計は5万ページ以上だと言われている(引用及び出典:Wikipadiaより)

 

まとめ

ヴィルヘルム・ヴントは『教育者』としても素晴らしく、心理学に興味のある、世界中の人々が「ヴントから学びたい」と集い、約40年の間で、約2万4千人の生徒に教え、多くの心理学者を輩出しました。

当時、日本人も学びに行っており、日本人初の心理学博士、元良勇次郎もヴントに学び、また心理学者の松本亦太郎(まつもと またたろう)や桑田芳蔵(くわた よしぞう)も同じく学びに行っており、日本の『心理学』に多く貢献している。

 

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